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2011-06-21

院内に置いてある漫画のタイトル。ご来院の方はご興味があれば手にとってご確認いただきたい。

天明の飢饉の時には「土粥」なるものがあったそうな。田んぼの土を水で溶き、何度も棕櫚(しゅろ)布で濾した水を飲んで命を繋いだらしい。土から生える作物を食うのだから、その土に養分があると考えた先人の論理思考には頭が下がる。

余談だが、実家の裏にある石碑は天明の飢饉の際の水垢離(みずごり)の石碑と表向きはされているが、人がバタバタ死んでいるときに石碑を建てる余裕など有る筈もなく、人食で様々な障りがあったので、その鎮魂の碑であるのが実態とある方から聴いた。

若佐というありそうで無いこの姓は神官のものであり、人食によって起こった障りを封じ込める役割を担っている。その責は改宗したからと言って逃れられる類のものではないだろう。本家は大東亜戦争によって血脈が断たれ、残る我が家の血脈も風前の灯。そのまま実家が朽ち果てれば、封じられたものが世に出るや否や?裏山の「若宮社」の祠は何を封じていらっしゃるの?隣のご神木に宿った神はまだいらっしゃるらしい。神は人ともにある。我が家は大きな責務を背負っているようだが、家主はそう感じてもいないらしい。

さて、我々の口に入るものは土の中の栄養分を光合成によって固化したものが殆どである。海洋生物の95%は海岸線に生息し、その養分は川より海に流れだした山の栄養分である。その栄養分で育った植物性プランクトンと、それを食した動物性プランクトンに続いて食物連鎖は起こる。その為、今はどうか知らないが漁師は流域の山へ入って木を植えたものだ。森の消えた都市は滅びる。エジプト然り、ローマ然り、メソポタミア然りで、古代文明の多くはそうなっている。

その食物連鎖の頂点にいるのが我々人間だが、結局は『土を喰らっている』のである。ならばより良い土から育った植物を摂るべきだろう。動物性タンパクも全体の食事の中では1/7程度は必要だが、殆どの獣肉は牛・豚・鳥(卵)であり、なるべく早く出荷するために狭い場所で飼い、運動不足のまま育つので、ほとんどが検出されないレベルの「薬漬け」である。昨今のアレルギー患者の遠因ではないかと考えられるが、そんなことを表立って研究すれば方々から締め付けが来るだろう。

ドラッグフリーの肉を口にするには余程覚悟のある畜産家と契約するか、自分で育てて殺して食うしか無い。我が家にそんな覚悟が育つとは到底思えない。小学校の下校途中、新庄川を流れる白い羽を見ながら、近々かしわ肉か?と思えたかと言えば、また、うちの鶏がシメられたかと感じていた。ただ、鶏は少し怖かったので昆虫と大して変わらない目で見ていたが。

「血液は弱アルカリ性」に続く

posted by わかさブログ管理者 | 2011/06/21 - 10:57 |